「笠井アナ、まさかのがん発覚!」。長年勤めてきたフジテレビ系アナウンサーとして退社後、フリーとして活躍しようとした矢先での公表に驚いた方も多かったと思います。『悪性リンパ腫(しゅ)』というがんでした。
一部では笠井アナのがんは、福島原発事故における現地取材が原因ではないかと言われていますが、果たしてがんとの因果関係は考えられるのでしょうか?
この話を通して、笠井アナがどのような人物で、福島原発について向き合いがんと戦うことになったのか、その関係を調査していきます。それではこちらをご覧ください。
笠井アナってどんな人?経歴と病気公表までを辿(たど)ろう

笠井信輔(かさいしんすけ)さんについて
フジテレビのニュースの顔でお馴染みの笠井アナの簡単なプロフィールを紹介します。
- 出 身 地:東京都世田谷区(せたがやく)
- 生年月日 :1963年4月12日 (2020年時点 57歳)
- 趣 味:映画鑑賞(かんしょう)、舞台鑑賞、カラオケ
詳しくは笠井信輔さんAmebaオフィシャルサイト(外部リンクへ飛びます)をご覧ください!
笠井アナは芸術にとても関心が高く、同時にアクティブな印象も受けます。だから外に目を向けて報道の匂いをいち早く察知できるのでは?と思ってしまいますよね。
フジテレビ入社から現在までの歩み
笠井アナは大学を一浪ののち、当時アナウンサー就職に強かった早稲田大学を卒業しています。志(こころざし)強くアナウンサーへとなる道を選んだことがわかります。
- 1987年 :アナウンサーとしてフジテレビに入社
- 1997-98年:「FNNニュース555 ザ・ヒューマン」メインキャスター
- 1999-2019年:「情報プレゼンター とくダネ」サブ司会・メインアシスタントおよびニュースデスク歴任
- その他、映画などでもニュースキャスター役として多数出演
- 2019年9月30日:フジテレビ退社
- 2019年10月1日:フリーアナウンサーに転身(てんしん)
- 2019年12月18日:『悪性リンパ腫』に罹患(りかん)していることを公表
長年フジテレビに勤務をしていた笠井アナ。フジテレビを見なくてもニュースの顔として見たこともある人も多いはず。長く勤めたからこそフリーとなる道を選んだその矢先で、病が判明しました。
退社後に、排尿(はいにょう)に関して気になった笠井アナは病院の診察で、前立腺肥大(ぜんりつせいひだい)と診断されました。その後より詳しく調べると腰に影があり、精密検査で『悪性リンパ腫』であることが判明したのです。
とはいえ、『悪性リンパ腫』がどんな病気なのかわからない事も多いですよね?それでは、次にこの病気についてお伝えします。
悪性リンパ腫とはどんな病気なの⁉︎

『国立がん研究センター』によると、悪性リンパ腫とは血液細胞の関するがんの一つだそうです。血液細胞には、『赤血球』『血小板』『白血球』の3つで作られています。そのうち『白血球』の一種であるリンパが『がん』化した病気です。
悪性リンパ腫は、全身のいずれの場所にも発生する可能性があります。そして病状が進むと、腫れが全身に様々な症状をもたらします。例えば発熱、体重の減少、激しい寝汗などが起こります。
他にも体のかゆみや皮ふの発疹(はっしん)、腫れが大きくなったことで臓器が圧迫されて、最悪、治療を急ぐ場合もあります。なぜこの病気が現れるかは未だに明らかにされていません。そして、がん細胞の形や質によって70種類以上細かく分類されます。
そもそも『がん』って怖い病気なの⁉︎
日本の死亡原因トップ5
下記の表にて2019年および2020年の日本人の死亡原因を表にまとめてみました。
総数 | 男性 | 女性 | ||||
1位 | 悪性新生物 | 27.9% | 悪性新生物 | 31.9% | 悪性新生物 | 23.5% |
2位 | 心疾患 | 15.3% | 心疾患 | 13.1% | 心疾患 | 16.7% |
3位 | 脳血管疾患 | 8.2% | 脳血管疾患 | 7.7% | 老衰 | 11.6% |
4位 | 老衰 | 7.6% | 肺炎 | 7.7% | 脳血管疾患 | 8.7% |
5位 | 肺炎 | 7.2% | 老衰 | 6.7% | 肺炎 | 6.7% |
※悪性新生物:多くの種類がある『がん』の通称 |
引用元 一般財団法人厚生労働統計協会(外部サイトへ飛びます)
この表によると悪性新生物(がんのこと)の割合が1番高いことががわかりますね。さて、それでは悪性新生物のうち『悪性リンパ腫』が占める割合はどのくらいなのでしょう。引き続き表をご覧ください。

引用元 一般財団法人厚生労働統計協会(外部サイトへ飛びます)
こちらの表を参考にすると『悪性リンパ腫』の死亡割合は他のがん部位での死亡割合に比べて、比較的に少ないことがわかります。そのため、笠井アナのように早期にがんが発見された場合は、治療で治る可能性があるということも考えられます。
それでも、日本人の死亡率トップが、がんであることを忘れてはなりません。さて、それでは、最大の問題である福島とがんの関係性を次に追ってみましょう。
笠井アナと福島原発事故との関係を追ってみよう!

アナウンサーとして長年『伝える』ことの大切さを追及していた笠井アナ。その信念を胸に抱き、なんと東日本大震災の翌日には被災地まで赴(おもむ)き現地取材を開始しました。
福島原発事故が起きた翌日から現地入り⁉︎
2011年3月11日14時46分、三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の巨大地震が発生。福島第一原子力発電所(以下福島原発)でも震度6強を観測したため、安全確保へと全ての機能の停止および措置が取られました。
しかしながら、地震によって安全への指示系統が機能をしなかったために、原子エネルギーを作り出す原子炉から放射性物質を漏れ出す結果となったのです。そうした中、笠井アナは東日本大震災直後の3月12日、福島を含む被災地に足を運んだのです。
笠井アナはいち早く現場の状況を伝えるため行動し、一ヶ月ほど現場に留まり報道し続けました。当然ながら当時の現場は、放射線量が国の基準の超えるほどを放出している大変危険な場所でした。
笠井アナの病気と放射線の関係は?
笠井アナはご自身の著書でも「僕はしゃべるためにここ(被災地)に来た。」と伝えています。報道への重要性と使命感があるからこそ、その行動力で当時の貴重な映像が残っている事実があります。
そして、現場で身を置くことで「今何が必要か、何が求められているのか」という支援の輪を広げる重要な役割をしてくれました。しかし震災直後の福島原発周辺の放射性物質の放出量は、大変深刻な状態でした。
それでは、笠井アナの当時の状況がどのようなものであったかを見ていきましょう。まずは、『放射線』というものについて確認したいと思います。
放射線(ほうしゃせん)って何?
さて、皆さんに少し質問です。『放射線』『放射能』『放射線物質』の違いをご存知でしょうか? 福島原発事故を機に耳にする機会があったこともありますが、少しばかり用語の簡単な説明をしたいと思います。
- 放 射 線:物質を突き通す力を持った光線に似たもの
- 放 射 能:放射線を出す能力
- 放射線物質:その能力を持った物質のこと
- シーベルト:放射線の人体への影響に関連づけられた単位のこと
引用元 環境省(外部サイトへ飛びます)
こちらの説明だと少し分かりにくいですが、環境省が懐中電灯に例えていました。『懐中電灯が放射性物質で、光を出す能力、そしてその光が放射線』。こちらの例えだとはっきりとイメージが湧きますよね。
放射性物質や放射線は、意外にも自然界にも存在しています。私たちは年間あたり日本で約2.1ミリシーベルト被ばくしています。しかし、この被ばく量に関しては、特に私たちが健康への影響を意識することなく生活できているため問題とはならないそうです。
問題は一度に大量の放射線を短時間で受けることによって、私たちの体を構成する細胞が多く死に、再生が追いつかないことで様々な組織の障害が起きてしまうことです。
笠井アナと福島事故後の放射線との関係
笠井アナが現地入りした12日から3日間、6基ある福島原発の原子炉のうち、1・3・4号機が水素爆発を起こしました。そのため、原発のある福島と隣の県を跨いで、国の基準を超すほどの放射線量が検出されました。
毎時約24マイクロシーベルトから始まり1時間で4.6ミリシーベルトなど、放射線量の値は急上昇していたようです。『短時間』『大量』『放射線を受ける状況』が条件が揃いました。そのため「笠井アナの病気の原因は、福島原発事故との関係があるのではないか」という声もあるようですね。
必ずしも『被ばく=がん』ではありません。人は年を重ねるごとに、飲酒や喫煙、そして食事などの生活習慣によって癌になるリスクが高まる可能性があります。その事も含めて体の小さな変化にも気を配っていきたいですね!
笠井アナが復活しました‼︎
2020年4月30日、約4ヶ月半ほどの治療生活を経て、笠井アナは退院しました。その1週間前には退院をご自身のインスタグラムで公表していたこともあって、復活の期待と喜びを感じます。
退院後は、退院後は新型コロナウィルス感染予防のため、当面の間は外出自粛(じしゅく)という事で、私たちがその活躍を見られる機会はもう少し先になりそうですね。
しかし、インスタグラムやブログも含めて、なにかを伝え続ける笠井アナの動きは、私たちにこれからも何らかの影響を与えてくれるはずです。これからの回復と今後の活躍を楽しみに、私たちも家で待っていましょう。
まとめ
- 笠井アナのアナウンサーはフジテレビの看板として有名。
- 東日本大震災の翌日、笠井アナは被災地に訪れ、状況を伝え続けた。
- 当時は、福島原発周辺が放射線物質が拡散されており危険な状態であった。
- 福島での被災地取材は、笠井アナのがんとの関係を噂されている
- 2020年4月30日に笠井アナは無事退院し、その後療養を続けている。
今回の調査報告書としては、笠井アナの病気の原因が福島原発事故の取材が原因ということまではわかりませんでした。しかしながら、笠井アナの迅速な行動とその報道への思いが、私たちの貴重な災害の怖さを今に伝える記録として残り続けていくでしょう。
そのことは、これからの未来を生きていく私たちの大きな教訓となります。笠井アナの勇気ある行動が私たちにその大切さも教えてくれたように。こうして記憶を記録として伝え残していくことで、希望のある未来へと繋がっていくのではないでしょうか。
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