織田信長には血の繋がらない弟が存在!僧侶になって歴史に影響変える?

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織田信長(おだのぶなが)について皆さんはどの程度ご存知でしょうか?天下統一(てんかとういつ)まで後少しの所で家臣(かしん)に裏切られ本能寺(ほんのうじ)で自害(じがい)した。本能寺の変はとても有名ではないでしょうか?この事件には色々な謎がある事でも有名なのです。

その中の1つに織田信長の遺体が本能寺の中になかった事があります。この謎に関しては色々な説が世の中には出ています。その中でも私が気になった説をご紹介したいと思います。織田信長には血の繋がらない弟が居たのをご存知ですか?

その弟が本能寺の変の謎に大きく関わっており、織田信長の幻の弟なんて言われていたりします。そんな弟の正体や本能寺の変に大きく関わった理由、弟の行動で大きく歴史が変わってしまった事などを深堀していきたいと思います!

織田信長の弟とは

織田信長にはたくさんの血の繋がった兄弟が居たとされていますが、今回ご紹介する人物は血の繋がりはないのです。その人物は幼い頃に母を亡くしその後、織田家に大切に育てられ19歳に阿弥陀寺(あみだでら)の住職(じゅうしょく)になりました。

その人物の名前は清玉上人(せいぎょくじょうにん)です。彼は織田家に育ててもらい、住職にまでさせてもらったので恩がありました。そして織田信長とは実の弟の様に育てられており、血は繋がっていませんが家族の様な存在でした

織田信長の死

本能寺の変には様々なミステリーがあって、よく歴史番組で取り上げられたり、ドラマや漫画などの舞台にも使われています。なぜ取り上げられやすいかと言いますと、未だ解明されていないことが多いからです

なぜ明智光秀は裏切ったのか、謀反になぜ、気がつくことも出来なかったのかなどありますが、今回注目した謎は、火を放った本能寺になぜか織田信長の遺体がなかったことです。実はそこには、幻の弟である清玉上人が大きく関わっていました。

本能寺の変と清玉上人

本能寺の変は織田信長や明智光秀などに注目されがちですが、先ほど紹介させていただいた清玉上人も本能寺の変に大きく関わりがありました。清玉上人の行動によって明智光秀はすぐに豊臣秀吉に討たれてしまった原因の一つになったのかもしれません

本能寺の変を解説

本能寺の変とは織田信長が明智光秀に襲撃されて命を落とした歴史的に重要な出来事です。なぜ家臣であった明智光秀は裏切ったのか、様々な謎も多いです。しかしこの出来事で、歴史は大きく変わり、後に豊臣秀吉が天下統一を果たします。

事件が起きたのは1582年6月2日の夜に起こったと言われています織田信長が滞在していた本能寺に夜中に奇襲を仕掛け明智光秀は攻め入りました。攻め入ってきた軍と織田信長は戦いましたが、最後は本能寺に火を放たれました

これには織田信長もなす術なく本能寺の中で自害した。と言うのが簡単な本能寺の変の流れです。本能寺の変の後、明智光秀が遺体を探しに行きましたがなぜかそこには遺体はなかったのです。この遺体を移動させたのが清玉上人と言う説があるのです。

清玉上人の行動

本能寺から数キロ離れた所に清玉上人が住職を務める阿弥陀寺があったとされています。そして本能寺に織田信長が滞在している事を知っていた清玉上人は本能寺での異変にいち早く気がつくことが出来たのです。

清玉上人は本能寺に向かい織田信長の遺体を自分の寺に持ち帰り埋葬(まいそう)したとされています。2020年現在も阿弥陀寺は京都に存在して、織田信長のお墓が存在します。この行動によって明智光秀が豊臣秀吉に討たれてしまう原因の一つになってしまったのです

本能寺の変の後

本能寺の変が起こった時に織田信長のもう一人の家臣であった豊臣秀吉は中国征伐(ちゅうごくせいばつ)により姫路方面に居ました。織田信長の死を聞いた豊臣秀吉はすぐに引き返します。引き返した後、明智光秀と山崎(やまざき)の戦いに挑むのです。

結果は豊臣秀吉の圧勝で幕を閉じました。下克上(げこくじょう)を成し遂げた明智光秀が、なぜあっさり敗北してしまったのか諸説がありますが、地形が豊臣秀吉に有利だったこと、明智軍は味方が少なかったことが言われています。

味方が少なかった理由として、織田信長の遺体が見つからずに織田信長はまだ生きているかもしれないと思う家臣たちが豊臣秀吉側に付いたのです。この事から清玉上人が大きく関わっていることがわかりますね。

しかし清玉上人は、今後の時代がどうなるかなどは深く考えておらず、大事な兄をきちんと葬ってあげたいと言う気持ちの行動だったのでしょう。(この時は豊臣秀吉ではなく羽柴(はしば)秀吉ですが、分かりやすくするために豊臣秀吉と表現しています。)

まとめ

  • 織田信長には血の繋がらない弟、清玉上人がいた
  • 清玉上人は織田家に恩があった
  • 本能寺の変で織田信長は亡くなったが遺体がなかった
  • 遺体は清玉上人が埋葬した
  • 清玉上人の行動は後の山崎の戦いに影響を与えた

戦国時代の歴史に残る大きな事件である本能寺の変、絶対的な武将(ぶしょう)が部下に裏切られ死に追いやられてしまいました。織田信長の弟である清玉上人が兄の為に行った行動で、織田信長を討った明智光秀はすぐに豊臣秀吉に敗北してしまったのかもしれませんね。

この様に歴史を違った目線から見たり自分なりに調べてみると、意外と知らなかった事実や歴史の流れ勉強にもなります。自分なりの仮説も思い浮かべる事だって出来ます!皆さんも一度歴史に触れて自分なりに解釈してみましょう!

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