織田信長の嫁『帰蝶』数々の呼び名からその生涯を追ってみました

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NHKの大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』は突然のキャストの交代で話題になりましたが、代役に抜擢(ばってき)された川口春奈さんの評判も概(おおむ)ね良さそうですね。現在、人気急上昇中です。
 
さて、その川口春奈さんの演じた役『帰蝶(きちょう)』に関心を持ったかたも多いのではないでしょうか?ドラマでは「織田信長の嫁」となっていますが、「え!?信長の嫁って濃姫(のうひめ)じゃないの?」って思った人も多いと思います。
 
もちろん「帰蝶=濃姫」なのですが、このように、帰蝶には生涯を通じていろいろな呼び名があったようです。今回はその呼び名から、帰蝶の一生を振り返ってみましょう。

呼び名が多かった織田信長の嫁「帰蝶」

帰蝶の一生に関しては、様々な説がありますが、資料に乏しく、実際には正確なことは解らないようです。ドラマで描かれるストーリーは、話を盛り上げるための創作だと考えて良いでしょう。
 
帰蝶の呼び名についても、いろんな文献に出てくる人物を照らし合わせた結果「これは帰蝶のことを指しているのだろう」という推測でしかありません。その中でもよく挙げられるものをまとめてみました。
帰蝶の呼び名とされるもの
  • 帰蝶、胡蝶(こちょう)
  • 鷺山殿(さぎやまどの)
  • 濃姫 
  • 安土殿(あづちどの)
  • 養華院(ようかいん)
それではそれぞれの呼び名から、帰蝶について探ってみましょう

帰蝶、胡蝶

帰蝶は1535年に斎藤道三(さいとうどうさん)の娘として生まれました。帰蝶という名は『美濃国諸旧記(みののくにしょきゅうき)』という文献に記載があり、また『武功夜話(ぶこうやわ)』では「胡蝶(こちょう)」という名で記されているそうです。
 
当時は女性は本名を証(あか)さなかったと言われていますので、この名前ですら怪しいのが実際のところですが、どちらにもの字が入っており、自(みずか)らをそう呼んだ可能性はありますね。
 
帰蝶は12歳のときに、土岐頼純(ときよりずみ)の元へ嫁に出されます。いわゆる政略結婚ですね。しかし、土岐頼純は程なく殺されてしまいます。夫を失った帰蝶は父、斎藤道三と共に、岐阜の鷺山(さぎやま)城へ移り住むことになるのでした。

鷺山殿

その後帰蝶は1549年15歳のときに、織田の吉法師丸(きっぽうしまる、後の信長)の元へまたも政略結婚で嫁に出されます。このとき帰蝶は鷺山城から嫁いだので「鷺山殿」と呼ばれたようです。
 
当時は女性を「地名+殿」で呼ぶことも多かったらしいので、これに関しては信憑性があるのではないでしょうか。
 
15歳はまだまだ子供のはずです。なのに2度の政略結婚ですから、それを理解できるのは、それなりに頭が良かったんじゃないでしょうかね。知力に長けた女性であったのではないかと想像します。

濃姫

濃姫』という名前は、『武将感状記(ぶしょうかんじょうき)』や『絵本太閤記(えほん たいこうき)』といった文献に記されています。しかし、この本は信長の時代より100年以上後に書かれたので、信憑性(しんぴょうせい)については疑わしいと見る意見が多いようです。
 
この呼び名は、帰蝶が「美濃の国から来たから」という理由でそう呼ばれたようですが、通称、つまりアダ名やニックネームのようなものだったのではないでしょうか?もし信長が帰蝶をアダ名で呼んでいたとしたら、それなりに仲の良かった夫婦なのかもしれません。
 
天下の武将が、自分の奥さんのことを「みっちゃん」とか「チコちゃん」のようなアダ名で呼んでいたかもしれない、と想像すると一気に親近感が湧きますね(笑)この名前に関しては真実であって欲しいと思います。

安土殿

1579年に信長は安土城を造り、そこに移り住みます。1587年頃に書かれた『織田信雄分限帳(おだのぶおぶげんちょう)』という文献に、「安土殿」という女性が書かれていて、これが帰蝶のことを指しているのではないかと言われています。
 
かなり地位の高い女性に書かれていて、また土地の名前をつけられていることから、正室(せいしつ)つまり本妻のことではないか?と推測された訳ですね。もしこれが帰蝶だとするなら、この時で52歳になります。
 
1582年に信長は本能寺の変で亡くなってますので、信長の没後も、しばらくは安土城で暮らしていたのでしょうね。

養華院

泰巌相公縁会名簿(たいがんしょうこうえめいぼ)』という文献の中に鷺山殿の法名が書かれているそうです。「養華院殿要津妙玄大姉(ようかいんでんようしんみようげんだいし)信長公御台(のぶながこうみだい)」と記されており、これも帰蝶のことを指すと推測されています。
 
また織田家の菩提寺(ぼだいじ)である大徳寺総見院(だいとくじそうけんいん)には「養華」と刻まれた供養塔があることから、養華院はここに埋葬されていると考えられています。
 
鷺山殿」「信長公御台」とはまさに帰蝶のことですよね。(御台とは本妻のことを表す)もしこれが本当だとすれば、帰蝶は1612年に78歳で亡くなったことになります。この時代からすればかなり長生きをしたんですね。

変わっていく名前

このように帰蝶にはいろいろな呼び名があったのですね。この時代の武将達は、名前が変わっていくことは珍しくないですが、女性の場合はどうだったのでしょうか?そもそも女性は記録に残さないのが普通だったらしいので、本当のところはわかりません。
 
「帰蝶の像」参照元:ウィキペディア(外部リンクへ飛びます)
 
でも、信長から家康までの戦国時代を生きた女性ですから、謎めいているのも面白いですね。どんな女性だったのか、想像が止みません。なんとなく、意志の強い凛(りん)とした人だったんじゃないかな?と思いますが、それじゃドラマのまんまですね(笑)

帰蝶に会いに行こう

 
愛知県清須市の清須(きよす)公園内には織田信長と帰蝶(濃姫)の銅像があります。信長が桶狭間(おけはざま)の戦いに出陣するときの格好をしているのだとか。
織田信長・濃姫像

住所:〒452-0942  愛知県清須市清洲三丁目7番地1

この像を見る限りでは、政略結婚だったとは言え、お互いに信頼していた良い夫婦だったんじゃないかなと思えてきます。実際、夫婦円満や恋愛のパワースポットとして人気のようですよ。

まとめ

  • 帰蝶は「胡蝶」「鷺山殿」「濃姫」「安土殿」「養華院」とも呼ばれたらしい
  • 養華院=帰蝶であれば、没年齢は78歳
  • 愛知県清須市の清須公園内に信長、帰蝶の像がある
  • 帰蝶の像は夫婦円満のパワースポットとしても人気

帰蝶に関してはいろいろなエピソードがありますが、それらを読むと、とても良くできたお嫁さんだったんじゃないかと思えます。資料が少なく正確なことはわかっていませんが、晩年は平穏な余生を送ったんじゃないか?と思いたいところですね。

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