桜桃忌はいつ?なぜ「さくらんぼ」?文豪・太宰治との関係や話を調査!

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小さな赤い実が2つ、仲良しな双子のようにペアになっている果物・さくらんぼ。プリンアラモードやクリームソーダの上に乗せられているのを見ると可愛いだけでなく、子ども心に贅沢(ぜいたく)をしている様な気分で嬉しくなったのを覚えています。

そんな可愛らしいさくらんぼにまつわるエピソードの1つに桜桃忌(おうとうき)という日があります。この日は、『人間失格』や『走れメロス』などで知られる作家・太宰治(だざいおさむ)を思い懐かしむ日とされています。

毎年お墓には、ファンからの大量の「さくらんぼ」がお供えされニュースでも話題です。なぜ、桜桃忌と呼ばれるのか?どうして、さくらんぼを太宰治のお墓にお供えするのか?今回はその理由や謎に迫ってみたいと思います!

桜桃忌はいつ?なぜ、さくらんぼ?

6月19日、男女が玉川上水(たまがわじょうすい)で遺体となって発見されます。警察が遺体を確認してみると、作家・太宰治と愛人の山崎富栄(やまざきとみえ)という事が分かりました。遺書(いしょ)もある事から、2人は入水心中(じゅすいしんじゅう)をしたと言われています。

しかし、6月19日は太宰治の遺体が上がった日であり命日ではありません。遺書の日付が6月13日となっている事からその日に入水自殺を行ったとされていますが、何日に亡くなったのかは分かっていません。

なので、遺体が上がった6月19日に太宰治を偲(しの)ぼうと、友人の今官一(こんかんいち)が桜桃忌と名付け、かつて太宰治と親交のあった仲間達と集まり、さくらんぼを食べながら思い出話をして懐かしみました。そしてそれは、ファンへと継(つ)がれています。

桜桃忌の名前の由来は?なぜ、さくらんぼをお供えするの?

では、なぜ今官一は太宰治を偲ぶ日を桜桃忌と名付けたのでしょうか?理由は、太宰治が入水心中をする前に書いた『桜桃』という短編小説から取ったからです。桜桃とはさくらんぼの事です。

短編小説の内容は、ある日妻とケンカをして逃げる様に酒場に行き、あれこれと考え事をしながら出されたさくらんぼを食べる、という日常の一コマを切り取っています。また、6月はさくらんぼの旬(しゅん)でもあり、太宰治が好きだった事も関係して名付けたそうです。

引用 Twitter

このように、桜桃忌である6月19日には太宰治の墓前にはさくらんぼのお供えで真っ赤に染まります。名前が彫られている部分にもさくらんぼが詰められていますが、これはイタズラではなく桜桃忌を始めた頃から親交のあった仲間の誰かが行ったようで、それが今でも続いているのです。

お墓の場所はどこにあるの?あの人も眠っているお寺だった!?

太宰治が眠っているお墓がある場所は、東京都三鷹(みたか)市にある禅林寺(ぜんりんじ)という場所です。三鷹駅の南口に降りて、歩いて10分程の距離に建てられているこのお寺。少し足を延ばしてみると「三鷹の森ジブリ美術館」もあり、緑豊かな場所に建てられているのが分かります。

禅林寺の詳細
  • 所在地:〒181-0013 東京都三鷹市下連雀(しもれんじゃく)4-18-20
  • 交 通:三鷹駅南口下車 徒歩10分・バス 八幡(はちまん)前で下車
  • 駐車場:完備92台 駐車後20分無料
  • 事務所取扱時間:午前9時から午後5時(休業:毎週火曜 春秋の彼岸中、7月のお盆期間中を除く)本堂への参拝、墓参は毎日できる。
    墓地の開門時間は午前8時から日没まで。

引用 禅林寺公式ホームページ(外部リンクへ飛びます)

なんと、この禅林寺には『舞姫(まいひめ)』など数々の名作を残した作家森鴎外(もりおうがい)も眠っているお寺なのです!太宰治は森鴎外の事を尊敬し、憧れの人と同じ地で眠りたいと思っていたそうで、その気持ちを奥様が汲(く)んで禅林寺に埋葬(まいそう)されました。

憧れの人と同じ地で眠っている今、太宰治はどんな気持ちなのか聞いてみたいものですね。

故郷の青森県では「生誕祭」が行われる

なんと!遺体が発見された6月19日は、太宰治の誕生日でもありました。生まれた日に亡くなるとは、まるで物語のようですね。太宰治は青森県北津軽郡(きたつがるぐん)で生まれました。禅林寺で桜桃忌が行われるようになると、故郷でも太宰治を偲(しの)んでいたそうです。

しかし、ご遺族から「生誕(せいたん)を祝う祭りが良い」という意見があり、故郷では6月19日は「太宰治生誕祭」が行われるようになりました。2つの土地で死を悲しむより、生まれた場所ではお祝いしたいですよね。

作家・太宰治の入水心中の理由は?

太宰治の人生は彼が書いてきた小説のように数奇(すうき)な一生を送っています。太宰治は、玉川上水での入水心中までに過去4回自殺未遂(みすい)をしていて、「狂言(きょうげん)自殺」とも言われる事も。過去4回の自殺は、どの様な理由だったのでしょうか?

太宰治の過去4回にわたる自殺未遂の理由
  • 1回目(20歳)・・・睡眠(すいみん)薬を用いて自殺を図(はか)る。

【理由】自分の出身階級に悩んで行ったとされていますが、芸者遊びと成績の低下、また政治に対し革命的な考えを持ち活動していたので、警察(けいさつ)に捕まる事から逃れる為とも言われています。

  • 2回目(21歳)・・・ホステスの田部(たべ)シメ子と鎌倉の海で、薬を用いて自殺を図る。女性は亡くなった。

【理由】芸者の小山初代(おやまはつよ)との結婚に、兄から条件として戸籍(こせき)から外される事を言われ絶望。田部シメ子とはカフェで知り合い、彼女は夫の失業に金銭的にも精神的にも苦しんでいました。自殺未遂後、太宰治は初代と結婚。

  • 3回目(26歳)・・・鎌倉で首つり自殺を図る。

【理由】大学を卒業出来ないという危機と、兄からのお金の援助の期限も近づいた事で焦り、新聞社の入社試験を受けるも不合格となった為。その後、腹膜炎(ふくまくえん)を起こし手術を受け回復しますが、痛み止めの薬・パナビールに依存(いぞん)する様になります。

  • 4回目(28歳)・・・群馬県の温泉で妻・初代と睡眠薬を用いて自殺を図る。

【理由】妻の初代が、太宰治の身内である小館善四郎(こだてぜんじろう)と浮気をしていた事にショックを受けた為。その後、初代とは離婚(りこん)し、1年後に石原美知子(いしはらみちこ)と再婚しました。 

8年間のうちに、4回も自殺未遂をしていた太宰治。衝動(しょうどう)的でメンタルが弱い様に思いますが、「死」への恐れの無さに「メンタルが強いのでは?」という解釈(かいしゃく)もあります。それから、数々の自殺未遂は太宰治の心を削(けず)っている様にも私は思います。

死にたいと思いながらも死ねない自分、生き残ってしまった事への悩みや苦しみは少なからずもあったはず。その上に日々の小さな嫌な事が積み重なり、少しでもバランスを崩せば倒れてしまう様なメンタルだったと思います。では、玉川上水での入水心中の理由は何だったのでしょうか?

玉川上水での入水心中の理由は?

入水心中の理由には、これっといった決定的なものは分かりませんが、家族にあてた遺書(いしょ)に「小説を書くのが嫌になったから」とある事から、それが理由だとされています。しかし、その他にも「体調不良」や「子育てに悩んでいた」というのも理由として言われています。

太宰治は富栄と知り合った後、呼吸器系の病気になっています。たしかに体が弱ると心も寂しくなりますよね。また、太宰治は美知子との間に娘2人と息子1人を授(さず)かり、その息子が実はダウン症や病弱だった事から悩んでいたとも言われています。

短編小説『桜桃』にも「子供よりも親が大事、と思いたい」「この子を抱いて川に飛び込み死んでしまいたく思う」「子供よりも、その親の方が弱いのだ」とその悩み苦しみを表している様な箇所があります。親としての理想と出来ない現実に、きっと心は疲れていたのかも知れませんね。

本当は死にたくなかった!?

実は「富栄が無理矢理、太宰治と心中したのではないか」という説もあります。太宰治は美知子との子どもの他に、富栄に出会う前に知り合った太田静子(おおたしずこ)との間に「自分の子」と認めた子どもが1人います。

富栄は「自分には子どもがいない」という事で、自身の存在の意味を気にしていたと思います。親身(しんみ)なって太宰治のお世話をしているのにも関わらず、当の本人は富栄の貯金も使って遊んでいる様子に焦ったのでしょう。一時期、太宰治を部屋に閉じ込めていたとも言われています。

また、2人が玉川上水に飛び込んだとされる場所に、落ちるのを踏ん張った様な跡(あと)があったそうです。しかも遺体が上がる日までの1週間は雨が降っており、今も残っているというのは死ぬ事に強く抵抗があったからとも考えられます。しかし本人亡き今、真実は闇(やみ)の中です。

まとめ

  • 桜桃忌とは、作家・太宰治を偲ぶ日である。
  • 桜桃忌は6月19日。その日は太宰治が自殺をして遺体が上がった日である。
  • 6月はさくらんぼの旬である事と自殺する前に書かれた短編小説『桜桃』から、友人の今官一が名付け、さくらんぼが供えられた。
  • 太宰治の墓は、東京都三鷹市の禅林寺にある。そこには森鴎外も眠っている。
  • 6月19日は太宰治の誕生日であり、故郷の青森県北津軽郡では「生誕祭」が行われる。
  • 太宰治は4回自殺未遂をしている。5回目の入水心中で亡くなった。
  • 入水心中の理由として「書くことが嫌になったから」とあるが、体調不良や子育ての悩み、無理心中説とある。

可愛らしいイメージのあるさくらんぼには、人生という荒波に溺れぬ様に必死にもがいて生きてきた作家・太宰治の一生が隠されていました。彼の化身(けしん)ともとれる作品は、当時は評価されにくかったですが、現代では時代を超え人々に愛されています。

薬物依存症の治療(ちりょう)を終えた時、太宰治は「自分は人間を失格している」と言っています。6月19日には、太宰治の作品を愛するファンが供えるさくらんぼで真っ赤に墓前が染まる様子を見て、彼は何と思うのでしょうか。

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