大化の改新の本来の意味とは??乙巳の変とあわせてわかりやすく解説!!

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学生時代の日本史の授業で『645年、虫殺そう大化の改新』というゴロ合わせを覚えた記憶がある方は多いのではないでしょうか?詳細まで覚えていないにしても、『大化の改新』と言えば、日本史では特に重要な出来事であることはわかりますよね。

ただし、2020年現在では大化の改新は645年の出来事とは習わないんだそう!?実際に645年とは『乙巳(いっし)の変(へん)』という反乱が起きた年であり、これ以降に始まる政治改革のことを『大化の改新』と呼ぶのです。大化の改新が始まったのは、646年以降とも言われています。

このように、昔習った歴史上の出来事が、今では違うように教えられているというのは、実に興味深いですね。それでは大化の改新にどのような意味があったのか、改めて見ていきましょう!

“大化の改新”と”乙巳の変”それぞれの意味とは?

乙巳の変を一言でいうと、蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺された出来事を指します。飛鳥時代は、聖徳太子の采配(さいはい)によって皇族と豪族との調和を保っていましたが、聖徳太子(しょうとくたいし)の死後、それは一変します。

豪族は猛威(もうい)をふるいだし、聖徳太子の息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)も命を落とします。そこで、藤原氏の祖である中臣鎌足(なかとみのかまたり)は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と手を組み、蘇我入鹿を皇極天皇の目の前で討ち取ります

蘇我入鹿の父である蘇我蝦夷(そがのえみし)とも対峙(たいじ)しますが、蝦夷の自害により蘇我家は滅亡(めつぼう)するのです。この後、中大兄皇子と中臣鎌足による政治政策『大化の改新』が進められていくことになります。

大化の改新をわかりやすく解説!

大化改新とはどのような政治政策なのでしょうか?

大化の改新の主な内容とは
  • 年号を定めた
  • 公地公民制(こうちこうみんせい)
  • 班田収授(はんでんしゅうじゅ)の法
  • 租庸調制(そようちょうせい)
  • 国郡里制(こくぐんりせい)

この5つが主な内容となります。これだけ見ても何のことかわからないという方のために、1つずつ一緒に見ていきましょう!

年号を定めた

2020年現在では当たり前のように定められている『年号』ですが、この大化の改新によって日本の歴史上で初めて『大化』という年号が定められました。なんと、この年号が由来となって大化の改新と呼ばれるようになったのです。

新たに始まった年号と政治改革にはこんな結びつきがあったのですね。巡り巡って今は『令和』の時代ですが、この元祖が大化であることは日本人として知っているべきことなのでしょう。

公地公民制

この公地公民制は、簡単に言うと『私有地(しゆうち)を持つことを禁止し、すべての土地とその土地に住む人民は天皇のもの』とした制度のことを指します。これまでに豪族によって支配されていた土地を、一度天皇のものとして回収したというイメージでしょうか?

これによって、『天皇が絶対』だと世間に知らしめることも目的の一つだったようです。

班田収授の法

公地公民制によって天皇のものとなったすべての土地を、政府から許可を受けた農民への田畑を貸し出しを始めました。農民は無料でこの土地を貸してもらえたようです!これだけ見ると、天皇は太っ腹だな~と思ってしまいますが、もちろんそれだけではありません。

かわりとして収獲には税金が掛かる仕組みだったのだそう。借りた土地の広さの分だけ、農民は年貢(ねんぐ)を納めなければならなくなりました。『農民が年貢を納める』という取り組みはここがスタートだったのですね。うまい話には裏がある・・・こういうことなのでしょうか。

租庸調制

当時の税金ですが、もちろん現代のようなお金ではなく現物で納税していました。

租(そ)

それまでの税金は『租』と呼ばれる田畑の税のみで、お米で支払うのが一般的でした。農民が自らが育てたお米を天皇に納めるというものですね。これには自然と納得できます。

しかし、大化の改新によって税金の種類は年齢によって異なるものとなります。また、税収としては租だけでは不安定だったため、種もみを貸し付ける制度を行ったり、利子も取っていたのだそう。

庸(よう)

21歳以上の男性には、都に出向いて労役に従事することを指す『庸』と呼ばれる税金が課されていました。しかし、遠隔地で出向くことが困難な場合は、労役の代わりに布や米、塩などを納入するようになったそうです。

調(ちょう)

17〜20歳の男性には『調』と呼ばれる税金が課せられており、主に繊維(せんい)製品で納められていたそうです。

これらはすべて中国で導入されていた『租庸調』を元にしたと言われています。

国郡里制

日本全国の各地域を約60もの『国』に整理する方針を定めました。ここからさらに『郡』、『里』の順番で細かく整理していき、それぞれに管理をする役人を任命しました。実際に成立するのは701年頃ですが、政策は段階的に進められていったようです。

ここでも、管理をする役人のトップはもちろん天皇。政策によって豪族から民衆を守った天皇は、絶対的存在となっていったのでしょう

まとめ

  • 学生時代に習った『645年、虫殺そう大化の改新』とは2020年現在では教えられていない
  • 645年とは、『乙巳の変』という反乱が起きた年
  • 大化の改新は、646年以降に中大兄皇子と中臣鎌足によって行われる政治政策のことを指す
  • 大化の改新によって、日本の歴史上で初めて年号が定められた
  • 政治政策は他に、公地公民制、班田収授の法、租庸調制、国郡里制がある
  • 豪族から民衆を守る政治政策を行った天皇は、絶対的存在となった

社会人になると以前習った歴史を思い返すことは少なくなり、勉強自体することがなくなってしまうという方も多いですよね。ただ、少し興味をもつだけでただひたすらに勉強していた学生時代には気づけなかったことを発見できたりと、結構面白いものですよ♪

年号に関わらず、普段何気なく使っている言葉にはどんな歴史が隠されているのか、調べてみるのもいいのかもしれません。

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